病名の命名者と命名の時期
「殿様枕症候群」は、国立循環器病研究センターのグループが提唱した新たな疾患概念です。
脳卒中の原因となる特発性椎骨動脈解離は、枕の高さが高いほど発症の割合も高く、また固い枕では関連性がより高くなることを立証しています。
この研究成果は、2024年1月29日に国際学術誌「European Stroke Journal」オンライン版に掲載され、その翌日の2024年1月30日に国立循環器病研究センターから発表されました。
「殿様枕症候群」の名前の由来は、江戸時代に使用された枕から命名されました。
17-19世紀(江戸時代)に、広く使われていた高くて硬い枕です。
ご存知のように、当時の人々は男女とも髪を長く伸ばし、後頭部や側頭部にボリュームを盛り、髪の毛をまとめた独特の日本髪を結っていました。
髪型を維持するため、このような形の枕が便利だったのでしょう。
このような高い枕を使うことと、特発性椎骨動脈解離の発症に関連があるという研究結果に基づいて、「殿様枕症候群」という疾患の概念が提唱されました。
椎骨動脈の解剖学と解離の病態
椎骨動脈は、首の骨(頚椎:第1~7頚椎)の両側を貫くように走行し、脳の後側(脳幹・小脳や後頭葉)に血液を供給している重要な血管です。
特発性椎骨動脈解離は、首の後ろにある椎骨動脈が裂けてしまう病気で、特発性というのは、その原因が良く分かっていないという意味です。
椎骨動脈の壁は内側から内膜、中膜、外膜の三層構造をしています。
この椎骨動脈が何らかの過剰な進展(張力)がかかると、一番内側の内膜に傷が付き、そこから血管の壁の中に血液が入り込み、血管が裂けていく状態を動脈解離といいます。
湘南心臓血管外科グループHPより
解離は中膜層で生じ、外膜に近い膜で起こる場合と、内弾性板と中膜の間で起こる場合があります。
特発性椎骨動脈解離の症状
解離が進行すると、椎骨動脈だけでなく、そこから分岐していく他の血管にもダメージを与え、広範囲で脳梗塞を起こす可能性があります。症状としては、左右どちらかの後頭部や、首の痛みを突然起こします。
理由は良く分かっていませんが、右側の方が多いようです。
解離が続いている間は激しい痛みが持続し、その後、血管の内腔が狭窄することで脳の血流が減少し、意識障害やめまい、嘔吐、手足の麻痺などといった脳梗塞と同様の症状が出現します。
枕の高さと発症のメカニズムについて
殿様枕症候群は、枕の高さが高いと首が大きく曲がり、首の後ろにある椎骨動脈に過度の負担がかかるということで発生します。
具体的には、アゴが胸の方向へと首が曲がる角度が大きくなり、この状態のまま寝返りして首が回った時、血管に傷が付いてしまうのではないかと考えられています。
枕が硬いほど発症との関連が強くなる傾向があり、枕が柔らかくても首の屈曲がひどくなるので、使用を控える方が良いとされています。
つまり、適切な枕の高さと硬さを選ぶことが、特発性椎骨動脈解離の予防につながります。
高さが12cm以上ある枕が、特発性椎骨動脈解離を起こしやすいようです。
特に、15cm以上の枕は極端に高いので、脳卒中のリスクが非常に高くなると考えられています。
そのため、適切な枕の高さを選ぶことが重要となります。
具体的には、成人女性の場合は6cm、成人男性の場合は7.5cm程度が良いようです。
ただし、これらは一般的な目安ですので、各自の体格や寝姿勢により適切な枕の高さは異なってきます。
また、枕の高さだけでなく、素材や形状なども考慮する必要性があります。
参考のため、枕の高さの測り方と、枕選びのポイントを述べておきます。
枕の高さを測る方法
- 首のカーブの深さを測る:
まず、自分の首のカーブを測定します。
壁に背中をつけて自然な姿勢で立ち、首の一番深いカーブの部分から壁までの距離を測定します。
この時、無理に頭を壁につけたり、あごを引きすぎたりしないようにして測ることが必要です。
2. 理想の高さを計算する:
理想の高さは、先ほど計測したカーブの深さに2センチを足したものが目安になります。
しかし、これは一般的な目安なので、各自の体格や寝姿勢により適切な枕の高さは異なります。
3. 実際に試す:
理想の高さを知った上で、実際に枕を使い確認します。
就寝している布団の上に高さ調整が出来る枕を置き、実際に頭を乗せた時、立っている時と同じ首の角度なら大丈夫です。
枕の選びのポイント
- 枕の高さ:
あおむけに寝るときは、首と寝具の間に1~6cm程度のすき間ができるため、その隙間を埋めるだけの高さが必要です。
横向きに寝るときは、首の骨が床と並行に保てる高さの枕が適切です。
2. 枕の大きさ:
枕の大きさは体格や好みで違います。
横幅の長い枕だと、寝返りをしても枕からずれ落ちにくく、就寝時の安心感が高まる効果があります。
3. 枕の素材:
枕の素材には非常に多くの種類があり、頭部を乗せたときの硬さや感触など、個人の好みに合わせて選ぶということになります。
4. 寝姿勢:
あおむけに寝る人には、側面から見たときに首のS字カーブが保たれる高さの枕が向いています。
横向きに寝る人には、寝たときの首の骨を床と並行に保てる高さの枕が適切です。
江戸時代は特発性椎骨動脈解離が実際に多かったのか
江戸時代の人々が高い枕を使っていましたが、江戸時代の人々が実際に特発性椎骨動脈解離を多く発症していたかどうかは、当時の医療記録の不足などから確認することは困難ですし、具体的な研究結果やデータも存在しません。
従って、江戸時代の人々が高い枕を使っていたことが特発性椎骨動脈解離の発症にどの程度影響していたかについて、明確な結論を出すことはできません。
しかし、江戸時代の雲錦随筆という古典籍(江戸時代末までの間、日本人が書いた書物のこと)に興味深い記述があります。
古典籍(こてんせき)のなかに、寿命のためを思うなら余り枕は高く無い方が良いと記されているのです。
このページの最後「おわりに」でもご紹介していますが、当時の人々は高い枕の危険性について何となく気付いていたと考えられます。
特発性椎骨動脈解離の予防とは
- 首を急に動かす動作を控える:
特に、カイロプラクティック、スポーツ、急に首をひねるような外傷、首を鳴らすなどの動作は、椎骨動脈解離を起こす可能性があると考えられています。
2. 適切な枕の選択:
枕の高さが12cm以上のものは「高い」とされ、特発性椎骨動脈解離の発症リスクが高まる可能性があります。
また、枕が硬いほど関連性は顕著で、柔らかい枕では緩和されるとの結果も出ています。
つまり、適切な枕の高さと硬さを選ぶことが、特発性椎骨動脈解離の予防になります。
これらの予防策を実践することで、特発性椎骨動脈解離のリスクを下げることは可能だろうと考えられます。
ただし、これらの予防策が全ての人に当てはまるとは限りません。
また、特発性椎骨動脈解離を全て防げるという訳でもありません。
殿様枕症候群を予防する上で、枕の選択は非常に大切な対策になりますが、枕で発症を全て防ぐことは出来ません。
おわりに
この病態は日本人だけのものではなく、海外の人々にも起こります。
枕の高さは個々の睡眠習慣や文化によりますが、欧米でも枕を重ねて使う場合が良くみられることから、リスクはあると考えられます。
特に東アジアで多く報告されていることが知られていますが、有力な遺伝因子や環境因子の候補は、これまで見当たらないようです。
殿様枕症候群とした疾患名の特筆すべき点については、
まず、特発性椎骨動脈解離の危険因子として、枕の高さに注目したことに独創性があります。
また、その因果関係を証明し、その症候群を「殿様枕」と命名したセンスが優れていたといえるでしょう。
殿様枕症候群の英語表記名は、Shogun pillow syndromeとなっています。
殿様はLord、将軍であればGeneral なのでしょうが、「Shogun」と英語表記したのは、これもまたセンスの良さだと思います。
国立循環器病研究センターの広報の記事にも書かれていますが、江戸時代の雲錦随筆という古典籍に興味深い記述があります。
古典籍(こてんせき)とは、江戸時代末までの間、日本人が書いた書物のことを指します。
「枕の高さは寿命三寸、楽四寸」と書かれていますが、枕が四寸(約12cm)の高さなら髪型が乱れないので楽だが、寿命のためなら三寸(約9cm)の高さが良いと記されているのです。
国立研究開発法人国立循環器病研究センター 広報より
もしかすると昔の人は、枕の高さが寿命に関係していると経験的に知っていたのではないかと思われます。
「枕を高くして寝る」という故事成語は、心配事がなく安心して眠ることを意味しています。
言葉の由来そのものは「史記の張儀伝」からです。
「寝つけない時、枕を高くし、頭を冷やすと眠りやすくなる」ということだそうです。
「史記の張儀伝」からすると、この「枕を高くして寝る」の高枕に限っては、髪型を気にする必要がないので良く眠れる、という解釈ではないようです。
実際には、12cm以上も高い枕を使っている人は非常に少ないだろうと思われます。
しかし、忙しい方のなかにはベンチや長椅子をベッド代わりに寝ている人も良くいるようです。
長椅子の肘掛けを枕にして寝ているような習慣があれば、それはとても危険な行為かも知れません。
舘内記念診療所