ピロリ菌の生態と名前の由来
ピロリ菌は胃の粘膜に生息する細菌で、日本では50歳以上を中心におよそ6000万人が感染していると言われています。
胃は強い胃酸を分泌しているのですが、ピロリ菌は特殊なウレアーゼという酵素で周囲をアルカリ性にし、胃酸を弱めながら胃の中に留まっています。
ウレアーゼは、胃の中の尿素を分解し、アンモニアと二酸化炭素を作り出します。
このアンモニアが胃酸を中和し、ピロリ菌の周囲を中性に保つことができるため、強酸性の胃の中でも生きられるのです。
ピロリ菌の名前は、ヘリコバクター・ピロリと言いますが、ヘリコバクターの「ヘリコ」は、螺旋という意味で、ヘリコプターのヘリコと同じです。
その見た目から、ヘリコプターの羽根のような鞭毛が数本あります。
「バクター」は細菌(バクテリア)で、「ピロリ」は胃の出口の部分(幽門=ピロルス)付近で発見されたため、命名されたようです。
ピロリ菌は、オーストラリアのウォーレンとマーシャル、2人の医師によって発見されました。
ウォーレンとマーシャルは、2005年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています。
その100年ほど前から、胃の中に何やら妙な細菌がいるということは言われて来ましたが、何をしているものかは全く分かっておらず、強い胃酸のなかでは長く生息できないだろうと考えられていました。
1979年に病理医のウォーレンは、同じ病院にいた研修医のマーシャルと、この細菌が胃の中で長く生息できることを証明しようと研究を始めました。
これまで、通常の細菌培養では、24時間後に培養出来ているかどうかを確認していました。
しかし、全く培養できなかったのです。
イースターの休暇で、たまたま5日間培養器にいれたまま放置していたところ、非常に小さな菌の固まりが確認されました。
ピロリ菌の培養は4日間必要だったので、これまで培養できなかったということなのです。
それは、1982年4月14日の出来事だったようです。
ピロリ菌と胃がんについて
ピロリ菌の感染によって炎症が起こりますが、大多数の場合、症状はみられません。
感染が長く続くと、潰瘍や胃がんを発症するリスクが上がります。
日本でおこなわれた統計調査から、ピロリ菌に感染している人は、感染していない人と比べ、胃がんの発症率は10倍高くなることが分かっています。
ピロリ菌を除菌すれば、その後の胃がんの発症率が、除菌していない人の3分の1へ減少します。
ピロリ菌のタイプと国の違い
胃がんは、日本を含む東アジアで多く、欧米では少ないがんです。
2012年の国際統計では、胃がんの発症率が世界一高い国は韓国、モンゴルが2位、日本が3位、中国が5位という結果でした。
欧米は、かなりランクが下になり、20位まで登場しません。
日本人の「がん死」は、1998年に肺がんから抜かれるまで、胃がんがずっと1位でした。
その後、早期の発見や早期の治療できるようになり、胃がんで亡くなる人の割合は大幅に下がりました。
2012年の国際統計では、早期発見や早期治療により改善したため、25位まで下がっています。
ところで、ピロリ菌に感染していても、国によっては胃がんになる人が多い国もあれば、少ない国もあります。
その理由は、ピロリ菌にもいくつかのタイプがあるからです。
大別すると、東アジア型と欧米型がありますが、東アジア型の方が胃がんを引き起こし易いということが分かっています。
日本人のピロリ菌は、東アジア型が大半で、胃がんを起こしやすいタイプになります。
日本人のピロリ菌は胃がんを起しやすい
東アジア型ピロリ菌の場合、胃の粘膜に遺伝子の変異を起こす蛋白質を送り込み、がんが発症すると考えられています。
「韓国人」「モンゴル人」についで「日本人」が世界で3番目に発症率が高い「胃がん」についての「驚くべき事実」 – 現代ビジネスより
また、ピロリ菌の感染により、複数の遺伝子でエピジェネティクス変化が起きることも分かっています。
エピジェネティクスとは、遺伝子そのものの情報は変わらないのに、環境刺激によって遺伝子の状態が変化し、変化した情報が記憶されていく現象です。
胃がんは、他のがんと比べ、エピジェネティクス変化が頻繁に発生することが知られています。
がんの抑制遺伝子が働かなくなったり、がんになる遺伝子が働いていたという報告が沢山あります。
これに対して欧米型のピロリ菌は、がんになる蛋白をあまり持っておらず、持っていたとしても、がんを発症させる力が弱いようです。
日本人が東アジア型ピロリ菌に感染していても、感染した人の全員が胃がんになる訳ではありません。
胃がんの発症には、感染するピロリ菌の違いだけでなく、感染を受けた人間側の遺伝子の違いも関係すると考えられています。
日本人とピロリ菌の歴史と関わり
ピロリ菌の感染は、およそ12歳までに起こります。
成人になると、ピロリ菌が入って来ても感染せず、出て行ってしまうようです。
日本人の50歳以上にピロリ菌感染が多い理由は、上水道がなかった時代、井戸水や湧水を利用したのが主な原因だと考えられていますが、その感染経路についてはまだ明確に分かっていません。
しかし、上水道が全国に普及した1980年頃を境として、これ以後に生まれた世代ではピロリ菌の感染率が低下しているので、上水道普及との相関はあるだろうと思われます。
井戸水や湧水で生活するのが普通だった時代は、全体的に衛生環境もあまり良くなかったはずです。
感染を引きおこすとされる様々な環境因子から、その時代の日本人のほどんどがピロリ菌に感染していたのではないかと思われます。
しかし当時は、ピロリ菌に感染していることが日本人にとって、むしろ都合が良かった可能性もあるのです。
これには日本人の胃の形が関係しています。
日本人と欧米人に多い胃の形を比較してみると、日本人の胃は、垂れ下がった「J」の形になっています。
縦長になっているので逆流し難く、食べた物をしっかり消化できます。
一方、欧米人の胃は、日本人と比べやや横長で、食べた物が比較的短時間で腸へ移動します。
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日本人と欧米人の胃の差は、食生活の違いに原因があります。
日本人は、お米を中心とした炭水化物を主食に食べてきました。
炭水化物は、口で唾液とともに咀嚼され、胃の蠕動運動で食物を処理され、充分に消化吸収されるように整えられてから腸に送られ、糖になり吸収されます。
一方、欧米人は肉食が中心です。
蛋白質や脂肪の消化は主として小腸になるので、胃の中では胃酸を沢山出し、胃での処理は短時間で終わり、食べた物を早く腸へ送り出す方が合理的なのです。
日本人の胃では、食べた物が胃の中で留まっている時間が長いため、胃の粘膜が胃酸に曝されやすくなっています。
しかし、ピロリ菌の感染があると、胃の粘膜に炎症が起き、胃液や胃酸を分泌する細胞が減るため、胃酸が少ない状態になります。
さらに、ピロリ菌は特殊なウレアーゼという酵素を出し、ピロリ菌がいる周囲の胃酸を弱くすることができます。
このため、日本人の胃酸の量は欧米人と比べて少なく、昔は逆流性食道炎になる人はほとんどいませんでした。
しかし、今はピロリ菌の感染率低下にともない、逆流性食道炎が増加しています。
おわりに
もしかすると昔、稲作が始まって以後の長い歳月、日本人はピロリ菌と共存の関係にあったのかも知れません。
昔と比べ日本は高齢化が進み、今では高齢者大国となりました。
がんは年齢とともに発症しやすくなる宿命にあります。
つまり本来、日本人と共存関係にあったと思われるピロリ菌は、高齢化という時間の推移とともに胃がんが増え、胃がんの原因究明が進み、今では胃がんといえばピロリ菌との認識が定着したということになります。
舘内記念診療所 安部 英彦