悲しい夏の思い出 消えた麦わら帽子

学生さん達は、夏休みに入りました。
小中学校の周りから、一斉に子供達がいなくなります。
海や山へ、家族と旅行に出掛けたり、部活で合宿したり、試合で遠征したり。
そして、夏休みには、色んな思い出が残ります。

小学5年生の夏休みでした。
北九州の大学へ通っている姉の下宿先へ、遊びに行った時のお話です。
プレゼントで、麦わら帽子を買って貰いました。
普通の麦わら帽子ではなく、ちょっと小洒落たタイプ。
良家のご子息、御用達のような格好の帽子でした。
私はとても気に入り、買って貰ったその日は、枕元に置いて寝たほどです。

翌日、姉と一緒に北九州市八幡区にある皿倉山へ出掛けました。
標高は600mほど。
頂上には電波塔があり、ケーブルカーで登ることが出来ます。
山頂の周辺は遊歩道が整備され、一寸した観光スポットです。
当日、天気は晴れ。
夏らしく、蒸し暑い日でした。
山の裾から吹きあげる風が、時折、清涼を運んで来ます。
暑さを凌ぐため買って貰ったアイス片手に、日陰の椅子に腰掛けました。
洋服を汚さないよう襟元を抑えて食べていたその時、激しい突風に襲われたのです。
私の帽子は風に乗り、遥か彼方。
山中の森へ消えて行きました。

「 母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へ行く道で、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、僕はあの時随分悔しかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。 」

ご存じない方もいらっしゃるかと思いますが、1977年に制作のされた映画、「人間の証明」に出て来る有名なフレーズです。
この一節は、西條八十詩集のなかに収められた「僕の帽子」から小説に採用されています。
「人間の証明」は、森村誠一さんの長編推理小説で、翌年にはテレビでドラマ化されました。
連続ドラマでしたが、毎回、高視聴率を誇ったテレビドラマです。

ニューヨークから来た黒人青年ジョニーが、高層ホテルのエレベーターで胸をナイフで刺されたまま死亡し、事件から始まります。
刑事は、ジョニーをホテルへ送ったタクシー運転手の証言から、ジョニーが「ストウハ」と言っていたことを聞き出します。
タクシーには、「西條八十詩集」の古本が残されていました。
更に、ジョニーがニューヨークから日本へ出発する際、「キスミー」と言い残していたとの情報を聞き込みます。
刑事は、西條八十詩集のなかに収められている「僕の帽子」の一文から、「キスミー」とは、栃木県にある霧積温泉のことではないかと考えます。
更に、現場の高層ホテル(ホテル ニューオータニ)最上階にある展望レストランの丸い外観が、ジョニーにはストローハット「麦わら帽子」にみえたのだろうと推測するのです。

ドラマは、複雑に話が絡み合い進行しますが、フレーズに関係ありそうな部分だけ、ストーリーを掻い摘んでみました。
作中に登場する西條八十の詩、「僕の帽子」を紹介します。

ぼくの帽子

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。

西條八十の詩、「僕の帽子」より

買ったばかりの、帽子は遂に見つかりませんでした。
夏休みのイメージは、映画のフレーズと映像が重なる、悲しい思い出です。

!このページのコンテンツは全て医学博士 安部英彦・院長 医師 安部公崇の監修に基づいて執筆・制作されております。