屋久島での野営はスコールに注意 一瞬の睡魔が危機を招くトロッコ列車

屋久島は亜熱帯の気候です。
南国に特有のスコールがあります。
激しい豪雨が観光客を襲った今回の雨は、非常に短時間の大雨でした。
幸い、孤立した300名を超える観光客が無事救出されましたが、本当に怖かったと思います。
5月一ヶ月分に相当する雨が1日で一度に降れば、災害にならない訳がありません。
私も昔、屋久島で大雨にあったことがあります。
屋久島が世界遺産に登録される遥か昔。
高校生になった最初の夏休み、屋久島へ友人と出かけたときのお話です。

屋久島は言わずと知れた世界遺産。
今も太古から続く自然を残す、貴重な島だと思います。
私が高校1年生の夏。
中学からの仲間5人で旅行を計画しました。
この時、どうして屋久島だったのか分かりません。
旅行の資金もなく、貯めた小遣いを全額はたいて費用にあてました。
その頃の持っていた金と言っても数万円。
精々、5~6万円位だったでしょうか。
一番大きな出費は、行き帰りのフェリー料金。
全行程3泊4日の内、宿泊費も飲食費も行き当たりばったり。
何とかなると思って出掛けるのが若さ故です。
宿泊は野営するのが安上がりだと考え、テントを持って行きました。

問題は野営の場所がないことです。
フェリーが着く港、安房町にお願いし、夏休みで使っていない小学校の運動場を借りることが出来ました。
慣れないテント張りで、1~2時間ほど費やし、取り敢えずガタガタのテントが完成。
今どきのテントは簡単に作れるように工夫されていますが、当時のテントは組み立てが大変でした。
夕食は店で食べる余裕もなく、疲れた身体で仕方なくインスタントラーメンを作り、食べた記憶があります。
もう後は寝るだけ。
その時、ぽつぽつ雨が降って来ました。
「少しすれば止むだろう」と思っていましたが、次第に雨は強くなるばかり。
亜熱帯特有のスコールです。
雨足は次第に強くなり、バケツを引っくり返したような豪雨となりました。
それはもう、半端な雨量ではありませんでした。
雨の重さでテントの天井が膨らみ、次第に下がってきます。
グニャリとたわむテントの中で、「何とか止んでくれ。」と祈り続けましたが、止む訳がありません。
哀れテントは全壊。
夜中に全員ズブ濡れとなりました。

途方に暮れ、一体これから如何すると悩んだ挙げ句、地元の方に頼ってみることにしました。
すると、夜中にも拘らず、小学校の校舎を開放して下さったのです。
この時は、本当に助かりました。
今から思えば、無茶なことをする迷惑な若者だと思われていたに違いありません。

翌日、天気は晴れ。
昨晩、酷い目に会い、休息は取れていませんでした。
しかし、今回の目的は、宮之浦岳へ登ること。
朝から眠くて重い身体を奮い立たせ、気合を入れることから始まりました。

宮之浦岳の標高は1936m。
九州の最高峰の山です。
泊まらせて戴いた小学校は港町なので、海抜0mからの出発です。
常識的に考え、簡単に行って帰ってくることは難しいのです。
しかし、何も考えずに行動するのが若さの特権。
現在のように整備されてはいませんでしたが、綺麗な林道を汗だくになりながら登って行きました。

ミストサウナのように蒸し蒸しとした空気のなか、苔生した道脇のあちらこちらから、湧水が流れ出しています。
喉を潤すための水には、苦労した記憶が全くありません。
しかし、その日も繰り返し短いスコールが訪れます。
林芙美子の「浮雲」には、「屋久島は月のうち35日は雨」という有名な一節があります。
宮之浦岳山頂が見える日は、年に数度あるかないか。
これが、世界遺産を育んだ環境なのでしょう。

濡れては乾きを繰り返しながら更に登って行くと、屋久杉の林を通り、やがて有名な縄文杉やウィルソン株、大王杉などを間近にみることが出来ました。
若い時の感激は、いつまで経っても忘れることがありません。
勢いだけで登って来たものの、昨晩は殆ど寝ていないため、既に疲労は限界に達していました。
もうこれ以上は無理だと判断し、皆と話し合いの結果、下山することを決断しました。

フラフラになりながら林道を歩いていました。
すると突然、「乗るか?」とトロッコの運転手さんが声を掛けてくれたのです。
当時、屋久杉の伐採はもう禁止されていましたが、運搬用のトロッコは偶然にも動いていました。
渡りに船とばかり、「はい、お願いします!」と即答。
荷台には、沢山の廃材などの荷物があり、乗り込む場所がありません。
台車のステップに足を乗せ、必死に荷物の固定柱にしがみ付きました。
それでも、「これで帰れる。」と思うと、嬉しいやら有難いやら。
トロッコが走り出すと、爽やかな風が身体に心地よく、生き返ったように感じました。
心地良いと同時に、安心と疲労で眠たくなって仕舞ったのです。

「オイ、兄ちゃん!」と呼ぶ声に「ハッ」と気が付きました。
一瞬、寝ていたのです。
必死に支柱を掴んでいた両手の指は次第に緩み、開いて離れる寸前でした。
荷物も人も満杯。
過積載で脱線しないとも限りません。
しかも、下りのトロッコは結構なスピードです。
走っているトロッコから落ちたら、怪我では済まなかったかも知れません。
「よく落ちなかったな。」と今でも思い出すたび、背筋が寒くなります。

若しかすると、無茶な若者が事故を起こさないよう、地元の方々が遠巻きに見守っていたのかも知れません。
災害救助には至りませんでしたが、地元の方々のご厚意がなければ、無事に帰って来ることは出来なかったでしょう。
もう今は昔の話となりましたが、当時お世話になった方々には大変感謝しています。

!このページのコンテンツは全て医学博士 安部英彦・院長 医師 安部公崇の監修に基づいて執筆・制作されております。