昔、経験した胃アニサキス症のお話です。
仕事柄、お付き合いが多い営業マン。
美味しい店を頻繁にご利用なさいます。
診察室では美味探訪のお話に花が咲きました。
ある日、早朝から電話が鳴ります。
「腹が痛いから直ぐ行って良いですか。」とその方からのご連絡でした。
痛みで、一晩中眠れなかったとのお話。
「直ぐに来て下さい。」と答える間もなく、来院なさいました。
「何かしました?」と伺うと、「昨日、寿司食いました。夜一晩中、痛くて痛くて」
と呻くような声。
同じものを食べた人はいたが、どうなったか分からない。
熱や、下痢はないので、ウイルス感染や細菌感染ではなさそうです。
兎に角、胃カメラで確認することになりました。
痛みで苦しむときに、胃カメラを受ける身は辛かろうと思いますが、仕方ありません。
胃の中は充血し、全体が赤く浮腫を帯びた状態でした。
良く観察すると、糸くずのような白いものが、胃壁に付いているのが見えます。
「あー、分かりました、アニサキスだ。」
鉗子を入れ、摘み上げると、虫体の口が胃壁に食い込んでいます。
アニサキスが胃壁へ食い込んで行くため、七転八倒の痛みを起こすのです。
「これ、取ったら良くなりますよ。」とお話し、虫体をクイッと引き抜いて、お仕舞いかと思いきや、良く見ると白い糸のようなものが、其処にも此処にもみえます。
「こりゃ、一匹じゃなかったですね。三匹いるみたい。」
胃カメラを一匹ずつ外へ取り出すのは大変ですし、患者様にも負担が掛かります。
胃の壁から一匹ずつ取り外し、三匹の虫体を一箇所に集めました。
鉗子を目一杯に広げ、ガブッと一度に掴み、途中外れて落ちないことを祈りながら、胃カメラと共にゆっくりと身体の外へ。
「いやー、何か楽になりました。」と仰ってお帰りになりました。
アニサキス症は食品衛生法施行規則により、食中毒として保健所への届け出が義務付けられています。
食中毒の発生状況をみると、件数ではノロウイルスが一番多く、次にカンピロバクター、その次がアニサキスとなっています。
アニサキス症は魚の生食で起こる、アニサキスという寄生虫の消化管感染です。
以前は、冬から春にかけて発症件数が多かったのですが、最近では、余り季節的な偏りは無くなっています。
激しい腹痛や吐き気を起こしますが、症状が軽く治まってしまう場合もあるようです。
劇症型と緩和型があり、初めての感染では然程、激痛が起こらないこともあるようです。
痛みを起こすメカニズムにアレルギー機序が働いているため、初感染では激痛が無かったが、次の感染から激痛が起こるのではないかと考えられます。
腸管への感染もありますが、胃アニサキスの再感染と比べ症状が軽いようです。
腸管に感染する場合、腸アニサキス症として分けられています。
消化管以外に感染する場合も、非常に稀ですがあります。
これは一旦、消化管から腹腔内へ出てしまい、色んな臓器で肉芽腫を形成し、それぞれの臓器に伴った症状を起こすものです。
アニサキスは、鯨やイルカ、アザラシなど海の哺乳類の体内で産卵し、排泄物と一緒に海水中へ排泄された後、オキアミがその卵を食べ、それをまた鯖や鰯、鯵、イカなどの魚が食べ、それをまた鯨やイルカ、アザラシなどの海洋哺乳類が食べるという生態で、そのサイクルが繰り返されています。
終宿主は海洋性哺乳類ですが、中間宿主となる鯖や鯵、鰯などを生で食べることにより、人間への感染が発生する訳です。
近年、アニサキスの遺伝子解析が進み、日本海側と太平洋側では違いがみられ、日本海側に多い種類は発症するリスクが太平洋側と比べ格段に低いことが分かったようです。
九州で良く食べられる青魚の生食文化は、若しアニサキスを食したとしても胃アニサキスを発症する確率が低いため、日頃から生で食べるようになった。
などの背景があるからではなかろうかと考えられています。
アニサキス症の対策は、魚を食べる際に熱を加えること、若しくは一度冷凍されたものを食べることです。
良く噛んで食べれば安全というのは間違いです。
余程、念入りにガチガチと、何度も咀嚼しなければ無理でしょう。
当然ですが、酢で〆めても、色々な薬味を付けても、全く効果ありません。
ホルマリン液に入れても、その中でグニュグニュと虫体を動かし、長い時間生きています。
それ程、生命力が強い生き物です。
胃アニサキス症になった場合は、胃カメラで取り除く方法が一番適しています。
激しい腹痛が嘘のように消えてなくなります。
先程記述したように、激痛を起こすメカニズムは、虫体が胃壁の中へ入り込もうとするためだけではなく、アニサキスが出すアレルギー物質によって人体のアレルギー反応を起こすためであろう、と最近では考えられています。
昔から、「鯖アレルギー」と診断されていた方の多くは、アニサキスに対してのアレルギーではないかと考えられるようになりました。
一時的に、ステロイドやステロイド系の抗炎症剤、抗アレルギー剤を投与することで、症状が少し緩和される場合があります。
また、正露丸などに含まれるクレオソートは、活動を押さえる効果があるようです。
因みに、胃アニサキス症で亡くなった方の報告はないそうです。
舘内記念診療所